江戸時代の麻疹治療

浅田宗伯著「橘窓書影」の時代背景

 「橘窓書影」は幕末から明治にかけて活躍した漢方医、浅田宗伯の臨床記録です。彼が江戸に診療所を開業した天保7年(1836年)は天保の大飢饉の真っただ中で、各地で冷害や水害が続いていた時期でした。また江戸時代にはおよそ20年ごとに麻疹の流行がみられ、ちょうどこの年も麻疹が流行した年でした。だからでしょうか「橘窓書影」の第1話(1-001)は麻疹の症例が紹介されています。

麻疹の症状は喉がはしかいことが特徴

 麻疹はウイルス感染症で飛沫感染のみならず空気感染するため、マスクや手洗いだけでは感染を防ぐことができません。現代でも特効薬はなくワクチンによる予防しかありませんので、当時の感染の勢いは相当強かったでしょう。その症状は「橘窓書影」の中で「咳嗽、くしゃみ、鼻水、あくび、眼が腫れて涙が出て顔面も微かに腫れて、悪心、からえずき、頭痛、めまいなどがあって天然痘と似ている。ただし頬の下半分が赤かったり、喉がとても痛いことが違う点である。喉がはしかい(むずがゆい)ため飲食が進まず、それがはしかと呼ばれる所以である」と述べられています。この中であくびは漢方的に「肺における気の宣発の失調」が原因となりますが、感染症が外部から気を閉じ込めているのでしょう。

麻疹の漢方治療は葛根湯がよく用いられました

 初期の第一選択は葛根湯加桔梗でとにかく発汗させます。麻疹の治療は皮膚症状を早く出してしまうことが重要で、さもないと内攻して重篤化してしまうと考えられていました。そこで発表作用のある葛根や麻黄を含む葛根湯の使用例が多かったようです。「瘧(マラリア)のように熱が上がったり下がったりする者には小柴胡湯、すでに発汗し煩躁し口が渇く者には白虎湯(熱邪が裏に入って、高熱・口渇・胸中煩悶・手足をばたつかせるもの。陽明の実熱が四肢におよんでいる)、煩渇(煩熱・口渇があって、躁のないもの。熱が盛んで津に影響しており実熱証)や下痢をしているものには猪苓湯、便秘のものには大柴胡湯、小承気湯を用います。吐血や鼻血のみられるものには瀉心湯、症状の軽いものには黄芩湯、余熱が引かないものには竹葉石膏湯、微熱が続き咳嗽が止まらないものには小柴胡湯加葛根草果天花粉を用いてたいてい治癒する」と述べられています。竹葉石膏湯は竹葉、石膏、麦門冬、半夏、人参、炙甘草、粳米からなり、熱が気や陰も損なった場合に使用されます。清熱作用のある竹葉は銀翹散にも含まれています。小柴胡湯加葛根草果天花粉の草果は散寒燥湿ですが、瘧疾に清熱薬とともに用いると効果があるようです。天花粉は栝楼根で清肺潤燥の他、血分に入り瘀血を消し血熱を散じるようです。少陽病期なので潤と燥のバランスを取っている意味もあるのでしょう。

参考文献

宮崎本草会編著:句読点で読む橘窓書影. 万来舎, 2015

神戸中医学研究会:中医臨床のための中薬学. 医歯薬出版株式会社, 2008