麻疹は周期的に流行

天保の麻疹には石膏が著効した

笄橋の道具係の真野幸次郎の妻が9月23日出産しましたが分娩や胎児に特に問題はありませんでした。同26日の夜になって、突然発熱し、咳嗽が著明で、口が苦く喉が乾きましたが舌の苔は白色でした。浅田宗伯先生は、「これは血熱ではなく、おそらく麻疹に感染した」と考え葛根湯加桔梗石膏を処方しました。翌日になるとやはり顔面が赤くはれて、体中に麻疹を発症し、熱が出たり寒気がしたり、汗が出て、裂けんばかりの頭痛も認めます。このため小柴胡加石膏湯を処方されました。この年の麻疹は前回と今回の2例が最も重篤でした。この年の麻疹に対しては石膏を頻用していますが。2,3日すれば下痢をして、解熱し、その後は問題ありません。多数に処方して著効しています。その後の麻疹の流行に比べればこの年の麻疹は大変治療しやすいものでした(1-003)。

周期的であるが故の麻疹治療の困難さ

江戸時代には少なくとも13回の麻疹の流行があり、この天保7年(1836年)の26年後となる文久2年(1862年)の流行では多数の死者が出たようです。麻疹はおおよそ十数年から二十数年という長い周期で流行していたため、治療に手慣れた医師が少なく、マニュアル本や根拠のない養生上の禁忌が横行していたようです。古方派の藩医大倉勝雲は「麻疹一哈」で、古方派は病名に関係なく毒の所在を診断し、それに応じた治療をするので、麻疹治療が初めての医師でも普段の治療技術と経験で十分対応できるが、後世方派の治療は病気毎に異なり、さらに同じ病気でも季節によって異なるため、普段は開いたこともない麻疹門の頁から、その患者の症状に最も近そうな薬を選んで試し、だめならその次を試してみるという、いい加減な医療を行っていると批判しています。後世方派の治療の部分はともかく、漢方は病名処方ではなく病態をしっかり診断して治療するということはとても大事です。

参考文献

宮崎本草会編著:句読点で読む橘窓書影. 万来舎, 2015

鈴木則子:江戸時代の麻疹と医療―文久二年麻疹騒動の背景を考える. 日本医史学会雑誌 50:501ー546, 2004